諸行無常の響きあり

日々の出来事を思いつくままに綴ります

ダンケルクの後わずか5年で・・・

映画『ダンケルク』に興味を持った結果・・・

その後のナチスドイツの行く末を調べてみた。

ポーランドソ連と東西分割したのち、

1940年5月末から6月初めに西部戦線電撃戦を決行し、

ベネルクス3国と北仏に侵攻して席捲した。

仏は降伏し、西部戦線の戦闘は終わった。

 

更に翌1941年6月バルバロッサ作戦を発動し、独ソ戦が始まった。

独軍電撃戦に対抗手段をもたないソ連軍は蹂躙され、

モスクワまであとわずかまで迫ったが、攻勢終末点はここ。

作戦期間が予想以上に長引き、冬の訪れが独軍の動きを停めた。

逆に補給線が短くなり地の利があるソ連軍が攻勢となった。

独軍ヒトラーの死守命令により何とか戦線を維持して対峙した。

 

1942年-43年は戦線は半膠着状態であったが、独軍の弱点が露見し

このことがソ連軍に自信を与え、練度も次第に上がってきていた。

1943年の独軍夏季攻勢(クルクスの戦い)を仕掛けている最中に、

連合軍のシチリア島上陸作戦が敢行され、攻勢は終了した。

以後東部戦線の主導権はソ連軍に渡り、ソ連軍の冬季攻勢で

独軍は敗走を重ねてウクライナ地方を奪還される事となった。

 

1944年6月、連合軍のノルマンディー上陸により西部戦線が形成。

独軍は東西と南の3方向から攻勢を受けることとなった。

バルバロッサ作戦当時の東部戦線の精鋭は西部戦線に引き抜かれ、

この時の東部戦線は地上軍、航空勢力共に弱体化していた。

ノルマンディー上陸の2週間後に東部戦線の大攻勢が始まった。

バグラチオン作戦である。ソ連軍の圧倒的な火力、兵力と縦深攻撃により、

独軍はなすすべもなくの敗走を重ねて、約1か月半で攻勢終末点を迎え、

バルバロッサ作戦発動前の戦線まで押し戻して戦線は膠着した。

 

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つまり、1944年8月の時点で独軍は敗色濃厚となり、

以後独軍は防御戦と敗退戦を繰り返しベルリン占領を迎える。

 

西部戦線については映画化されたり情報が豊富であるが、

東部戦線の大勝利バグラチオン作戦』については知らなかった。

独軍電撃戦を凌ぐ縦深攻撃の威力は西側陣営を恐れさせた。

縦深戦略理論としてソ連軍やその後のロシア軍にも受け継がれて

現代版の戦略思想と装備体系となっているそうだ。

 

 

しかし、大勝利後わずか5年で帝国の滅亡を迎えるとは・・・

まさに諸行無常ですな。