諸行無常の響きあり

日々の出来事を思いつくままに綴ります

人の振り見て我が振り直せ

 『人のふり見て我がふり直せ』は万人に対する戒めである

出来そうでなかなか出来ない事だからこそ、

故事成語として人口に膾炙しているのである。

 

他人の行動は目につきやすく、指摘し注意するが、

自分が同じ行動をしても気がつかず、自己修正が難しい。

だから他人のふるまいを鏡として自らを正すべし。

 

自分が他人にされて嫌な思いをしたことも、

立場が変われば平気で嫌がらせをしてしまう。

この場合は『自分を正す』気はなく、確信犯なのだが。

 

 

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他人にされた嫌な思いをともなう出来事に対して、

どうアプローチしてゆくかによって見え方が異なる場合がある。

 

『なにくそ、そっくりそのまま同じことをお返ししてやる』

と感情を心のバネにして『臥薪嘗胆』の末、成りあがったときに

その時の相手の立場に立って初めてわかることがあり、

「自分の事を思って憎まれ口をきいていたのか」とは

よくある物語の手法である。

 

しかしその人が同じアプローチで後進の指導に当たるとは限らない。

結果が残せなかった、その他大勢には判らないやり方なのだから。

 

小さな人間は自分がされて嫌だったことは、

それが出来る上の立場になれば、してしまう。

 

しかし、同じ視点で下から見ていれば嫌なことでも、

上から見ると物事の見え方は違うのかもしれない。

『小さな人間』でないからこそ臨機応変に行動できるのかも。

 

とすると、同じ立場の『人の振り』は戒めるべき対象であるが、

立場が違えば一元的に適応しても成立しない故事成語なのか。

 

立場により戒める重点が変わるなら一筋縄にはいかない。

世の中は考えている以上に複雑怪奇なのだなぁというお話。